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きっかけバス活動記3

こんばんわ、雨です(´-ω-`)

 昨日の朝方愛媛県の方で地震がありましたね、自分も近くも遠からずの場所に住んでいるので、少しはゆれたのですが、みなさんは大丈夫だったでしょうか?こういった時にも冷静で迅速な対応ができるように、日頃から有事の時に対して考えておきましょう。

 さて、本日は活動記3になります。


 活動日1日目の夜に同じ宿に宿泊していたきっかけバス京都・徳島のメンバーとともに、3府県合同ミーティングを行いました。そこで府県ごとに2名づつのグループにわかれ6人1グループを再編成し、復興とは何か?自分の中で一番大切にしているものは何か?という2つの点について、皆で話し合い、それを全体に共有するというものでした。やはり、約120人
それぞれの考えや思いがあり、自分だけでは考えつかないようなものもあったので、とても有意義な時間を過ごせたと感じました。

 活動日2日目は朝から、昨日に宿泊したホテルで語り部をされている釘子さんのお話をお聞きする機会がありました。
 その地震は車がバウンドするほどの強い揺れを引き起こし、海上では約80km/h、地上に上がっても40-50km/hの速さと10tトラックが衝突するくらいの強さを伴った津波には高いところで20m近くに達し、浸水地域でなかった場所の犠牲者が多いことを最初に話されていました。
 それから釘子さんと数人のメンバーが中心となって運営していた避難所について触れられていました。
 避難所で大切なこととして、いくつかのものを挙げられていましたが、一番起こしてはいけないことは、人々のパニック行動でした。尋常ではない災害時、普通の人がおかしくなることはありえ、他の場所では治安が悪化するケースもあったそうです。
 特に災害発生から1週間以内はパニック行動が起こりやすいので、そうならないように安心感を継続できるような避難所作りをすることが大切だと話されていました。
 また日頃から、自分の身の回りにある避難所を確認し、そこが本当に安全なのかどうかということ、そこに備蓄がどれくらいあるのかを調べてみるなど、私たちが日頃からできることを教えて頂きました。また、甘いものがあることで、かなり人々の安らぎ具合が違ってくるそうで、避難キットの中にドロップの缶をいれておくことを進められていました。
 釘子さんは話の終盤で私たちに対して「あなたたちは災害に遭わないと思っているでしょう?」と問いかけてきました。わたしは後ろ頭を思いきり殴られたような気分で、これまでの自分の防災意識への甘さをいやというほど痛感しその時は気持ちの整理がつきませんでした。そうした問いかけも私たち一人一人が日頃から防災に対して考えておけば、自分だけでなく自分にとって大切な人も守ることができると伝えられているように後になって思えました。

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↑見送りにきてくれた活動日1日目のホテルの従業員の方々

 そのお話の後、私たち島根のメンバーは、リアス・アーク美術館という被災物を展示している場所へ訪れました。そこには震災について考えるために「キーワード」を設定し、パネルで展示していました。また、被災物の横にはそれに関する話が添えられていました。その中から私が特に印象に残ったものを紹介したいと思います。
 この美術館に展示されている被災物の中で最も記憶に焼きついているのは土にまみれたピンクのデジタルカメラでした。その横にはその持ち主の母親であるだろう人が、娘が海の様子を見にいってくるといって、デジカメを持ち出して出かけたまま帰ってこず、探しにいこうとすると、周りの人から止められ、後日そのカメラだけが帰ってきたと綴っていました。そのことを思い出して悲しむこともあったかもしれないのに、こうしてそういったエピソードを綴ったのは、災害時に興味本位で動いてはいけないことを私たちに強く伝えようとしているように私には思えました。
 またパネル展示で私が印象に残ったものをいくつか紹介しようと思います。

家・・・墓:津波によって中のお骨ごと流されてしまったお墓を目の前にし、現地入りした記者の方が「これはいくらなんでもひどいじゃないか」と口にしました。

歴史・・・未曾有:今までになかったという意味で「未曾有」という言葉がある。しかし、昔からこの地域における津波の被害は歴史的資料にも残されている。「未曾有」ではなく、過去最大という方が正しいだろう。

この他にも私たちが教訓にすべき言葉はたくさんありましたが、私がこれらの中で最も印象にのこったものは次のものでした。

自然現象・・・津波:
「津波はあくまで自然現象であり、その被害の大小は人々の日々の生活の在り方によって変わる」

この言葉を目の前にしたとき、その日の朝に釘子さんから聞いた話を思いだし、また自身への防災意識への甘さを痛感することとなり、一人一人がもっと防災について考えるべきだと感じました。

これらの言葉がみなさんに響くことがあれば幸いです。

 その後お昼を南三陸さんさん商店街で頂いた後に、震災当時は消防士をされていた語り部の佐藤さんの案内の元、海抜18mの高さにある戸倉中学校を訪れました。そこでは、当時のままの姿を残すものが多くありました。津波が最大到達点に達した時、体育館と校舎の間から回り込んできて18mの高さにあったこの中学校の1階部分までつかってしまったそうです。したから車で上がってきてていた人々や、避難誘導をしていた教師の方と避難していた生徒1名が津波にさらわれてしまいました。また、その日の18時頃に津波に飲まれながらも奇跡的に生還された佐藤さんの同僚の方が見つかり、震災の3日ほど前に救命訓練をしていた戸倉中学校の生徒たちの頑張りの甲斐あって、その同僚の方は一命を取り留め、その方から、当時の防災庁舎の様子について話を聞くことができたそうです。
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あの日の時刻まま止まった時計

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戸倉中校舎

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校舎から体育館へのわたり廊下、ここから津波が上がってきた

 防災庁舎に訪れたとき、そこにはたくさんの献花や千羽鶴などが備えられていました。そこでは、職員など約50名が当時職務にあたっていましたが、助かったのは8名だけでした。全てが一瞬の内に流され、助かった方は海水を飲みながらも変形した階段の手すりにつかまっていたそうです。またこの防災庁舎を取り壊すかどうかについて、町の中だけではなく、一家庭内の中でも残すべきだという意見と今すぐにでも取り壊してもらいたいという意見で対立しており、複雑な問題として浮上してきています。

DSC_0151.jpg


 活動最終日、福島の除染プラザへ移動し、そこで放射線の正しい知識というものを学びました。まったくもって鵜呑みにしたわけではありませんが、部分的には放射線に対する考え方を考えていかなければならないと思いました。

以上が今回のボランティア活動の大まかな内容とそこで私が感じたこと、考えたことです。この記事をご覧頂いた方で、防災について考えてみよう、この情報を広げようと思っていただければ幸いです。

次回は番外編をお送りします。ではまた。
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